今回は、第2幕「ミズウリ」編
ミズウリ回想録、第8章「ミズウリ/1990-1995A」編いかがでしたか。
「人に歴史あり」ジョニー黒田が、指1本で書き込んだアンソロジー。
まさにいたずらっ子ジョニーが色んな事してくれました。
のパート2。ライブの興奮覚めやらんや。
さて、うまくいくんでしょうか?
第9章では、ビートルズ・シネ・クラブのバンドコンテスト東京大会へ出場。
・・と展開していきます。
文章はオリジナルを尊重したページを作っていきたいと思っています。
表現のニュアンスは、本人の個性と思ってくだされば幸いです。
誤字・脱字・間違いがありましたら、ご指摘下さい。
背景画面は単色が見やすうございます。
見た目パッとしませんが、読みやすさを優先いたしました。
ご協力者また関係者に感謝いたします。
LOVE&PEACE
2004年10月11日
管理人:大ちゃん
協力:あおっちさん
By ジョニー黒田
第2幕 ミズウリ
第8章 ミズウリ/1990-1995A編
ミズウロ 投稿者:殿 投稿日:2004年1月28日(水)01時07分4秒
それは国立にある業界でも知る人ぞ知る「国立リバプール」というライブハウス!ただその頃は
吉祥寺に支店を出してた事もあり、そちらのビートルズディに出演する事を勝手に決めてしまい
ました。そしてメンバーに一方的に電話で通知!「もう決めちゃったもんね〜あとは何もフランケ
ンシュタイン〜もんね〜」まさに究極の捨て身攻撃。まぁクビ覚悟だったから覚悟はあったんだけ
ど、意外、ゆきおちゃんの反応は冷静で「まぁ決めちゃったモンはシカタナイな。出てみるか」
えっ?冗談でしょ?仕掛けたおいらがうろたえる位の答えだった・・・じゃあ何で今まであんな反応
だったの・・・??!今だに謎だな〜もしゆきおちゃんがこれを金沢から見てたら答えをお知らせ
下さい。しかしドラマーのI君の話題が出てこないのに気づいた方は、するどいです!もう少しで
彼の独壇場と化すのですから・・・血いみるぜ!
マズムリ! 投稿者:殿 投稿日: 1月28日(水)02時22分33秒
やっとライブの為という目的をもった練習が出来る事になってしばらく、ついにメンバー間にアツレキが ミズカッテ! 投稿者:殿 投稿日:2004年1月28日(水)01時24分36秒
そして、ついにその日がやってまいりました。おいらが入っての初ライブ!三ちゃんが調達した
車にギターと衣装を詰め込んでリハが夕方からだというのにも関わらず、午前中からの待ち合
わせ!おいらは今までライブ慣れしてたからそんな早く入ったってしゃがないと思ったんだけど、
ほかのメンバーが早めに行こうと言ってきかない!やっぱりちょっとキンチョー入ってます!
で昼過ぎには吉祥寺到着!ここからが大変〜昼メシ食ってからゆきおちゃんの顔色が紫
がかってくるは、一言も話さなくなるはトイレからは出てこないわで後のライブがどうなる事かと
心配を通り越して恐怖に変わっていきました。、そしてその恐怖にトドメを刺すような出来事が
ハウスで待っていました。
ミ、ミ、ミズ?! 投稿者:殿 投稿日: 1月28日(水)01時49分39秒
祇園精舎の鐘の音〜 店に入ってタイムスケジュール表を見て大ビックリ!ミズウリが鳥!鶏!
トリ!!!あわれゆきおちゃんの顔色が紫から土色へ・・・南無・・・ってなんで?と店側にニジリ
寄ったら、「まぁ年齢が一番高そうですんでオトナという事で!よろしくお願いします〜」
確かにリハ
してるほかのバンドの若いこと・・・おいらが当時24歳、三ちゃんが26、Iクンが23、ゆきおちゃん
が・・・アンタが平均上げとるやんけ!という事で初ライブがトリという、無謀的無政府状態かつと
ダリとムンクが仲良くピカソの森でピクニック〜て位なシュールな状態、しかし結果は大反響〜
なぜかあれだけ即心成仏と化していたゆきおちゃんが大ブレイク!受けるわ受ける、まさかあの
状態はフカシ?いや本番に強いのかな?でもその後もライブ前はゾンビ状態。まぁひみちゅ結社だ
から仕方ないか!それから少しづつ(一年に一回位は)ライブをやる事になりやした。
ネムレン! 投稿者:殿 投稿日: 1月28日(水)03時34分44秒
なぜか今晩は眠れないのでもう1話おつきあいを・・・あわれトリオとなり果てたわれらがミズウリ!また元のひみちゅ結社に逆もどり〜しかし世の中、願望と現実が反比例する事が多く、そんな時に限ってライブの依頼が殺到するもんです。何度も丁重にお断りをしていたんだが、やはり一度ステージで受けてしまった。あの快感を忘れられず、また新しいメンバーをさがす事に・・・そして白羽の矢が立ったのがアブ!ここでこの名前が前に出てきた事に気づいたあなたはエライ!!
そうおいらが高校生の頃のバンド「トロピカルムーン」のドラマーのアブです。なぜかその頃、奴は東京に生息していたというか、急に生えてきたというか今はぬけているというか・・・まぁそんなところです。奴にしても東京に出てきたものの友達もおいらと誠一のみだし、社会を広げる意味もあるとか何とか言いくるめてドラマーに決めしまいました。それからはおかげさまで順調にライブ活動もこなしある程度のネームも浸透してきたさなか。メンバーの誰かがビートルズシネクラブ主催のコピーバンド大会に出るという挑戦状をメンバーに発表しました。まぁ自分たちを試すのもいいんじゃぁない?つう軽いノリで出場決定〜そしてあの当時の東芝EMIビートルズ担当プロデューサー石坂敬一が大激怒して会場を去るという事件につながっていくのでありました・・・アシタハヤイノデモウネマス。