帝釈堂彫刻ギャラリー・前編

1、塔供養の図 -序 品-
彫刻  金子光清
今の仏の光明を放ちたもうも
実相の義を助発せんとなり
諸人よ 今当に知るべし
合掌して一心に待ちたてまつれ
仏は当に法雨を雨して 道を求むる者を
充足したもうべし
今、仏は眉間白毫の光を放たれたのは真実の世界を
私共に知らせてくださる前ぶれに違いない。

今こそみんなで一心に手を合せて待ちましょう。

2、三車火宅の図 -譬喩品-
彫刻  木嶋江運
三界は安きこと無し
猶火宅の如し
衆苦充満して 甚だ怖畏すべし
常に生老病死の憂患有り
是の如き等の火 熾然として息まざるなり
この世界には、安心出来る所は何処にも無い。
言ってみれば我々は燃えている家の中に住んで居るようなものである。
いろいろな苦しみばかり多くて、まったく恐ろしい限りである。
此の世に生れてもやがて老い、病いにかかって死なねばならぬ悩みに、
我々はいつもつきまとわれている。このような悩みが炎のようにうず
まいて、息むことを知らないのだ。

3、一雨等潤の図 -薬草喩品-
彫刻  石川信光
仏の平等の説は 一味の雨の如し
衆生の性に随いて 受くる所同じからず
彼の草木の 禀くる各所異なるが如し
仏の平等な、かたよりのない教えは、天から降る一味の
雨と同じである。然し人間の性は千差万別である。
だから仏の教えも、人々により受けとりかたが異る。
ちょうど、大小さまざまな草木が、雨の水をいただ
いてそれぞれに生長するのと同じである。

4、法師修行の図 -普賢菩薩勧品-
彫刻  横谷光一
是の人 若しは坐して
此の経を思惟せば その時に
我また 白像王に乗って
其の人の前に現われん
爾の時に法華経を受持し読誦する者
我が身を見ることを得て
甚だ大いに歓喜して転た復精進せん
或いは、端坐してこの法華経を思念するものがあれば、
われ(普賢菩薩)は再び、六牙の白象に乗って、
その人の前に現れよう。その時、この法華経を受持し
読誦して如説に修行する人は、わが姿を見て歓喜し、
大いに自信を得て、益々修行に精進するであろう。

5、多宝塔出現の図 -見宝塔品-
彫刻  石川銀次朗
もしわれ成仏して滅度したるのち
十方の国土において
法華経を説くところあらば
わが塔廟 この経を聴かんがために
その前に涌現して
ために証明となりて
ほめて善哉と言わん
わたしが仏になってこの世を去った後、天地十方のどこか
で法華経を説く仏が現われたら、わたしを祀るこの塔は、
法華経を聴くために、その仏の前に涌き出るであろう。
そしてこの仏の教えは、真実であって
誠に結構であるとほめ讃えよう。

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