帝釈堂彫刻ギャラリー・後編

6、千載給仕の図 -提婆達多品-
彫刻  加府藤正一
果を採り 水を汲み
薪を拾い 食を設け
乃至身を以って牀座と作せしに
心身倦きことなかりき
時に奉事すること千歳を経たり
法の為の故なれば 精勤して給侍せり
私は、阿私仙と言う仙人に教えをきく為に、木の実を
採ったり、水を汲んだり、薪を拾い集めたり、食事の
用意をしたり、ある時は、自分の身体の上に腰かけさ
 せたりして、身も心も捧げて、倦まずたゆまず努めた。
このようにして仕えて、千年という歳月が流れた。
これは、法華経というものを教わりたいばかりに、
辛抱して給仕したのである。

7、竜女成仏の図 -提婆達多品-
彫刻  山本一芳
爾の時に 龍女一っの宝珠あり
価値 三千大千世界なり
持って以って仏に上る
仏 即ち之を受けたまう
時に、龍王の娘は、智慧の宝珠をいだいていた。
その価値たるや、三千大千世界にも匹敵するものであった。
それを今、仏に献上する。仏は、この龍女の献げた宝珠を受けやもうた。

8、病即消滅の図 -薬王菩薩本事品-
彫刻  今関光次
この経は すなわち
これ閻浮堤の人の
病の良薬なり
若し人 病あらんに 是の経を
聞くことを得ば
病すなわち消滅して
不老不死ならん
この経は、すなわちこれ閻浮堤(全インド)の人の病気の良薬である。
もしもある人が、病気になり、この経を聞くことができたならば、
病気は、たちまち消滅して、不老不死となるであろう。

9、常不軽菩薩受難の図 -常不軽菩薩品-
  法華経功徳の図 -薬王菩薩本事品-  
彫刻  小林直光
衆人 或いは杖木・瓦石を以って 之を打
擲すれば 避け走り遠く住して 猶 高
声に唱えて言わく「我敢えて汝等を経
しめず 汝等、皆当に作仏すべし」と
其れ常に是の語を作すを以っての故に
之を号して常不軽と為す
一人の比丘を、大勢の人がよってたかって棒きれで打ち据えたり、
或は瓦や石を投げつけたりした。すると此の比丘は遠くの方へ逃げ
走って、そこで又今度は大声を張り上げて「貴方がたはみんな仏様
になられる方々なのだ。だから私は、貴方がたをいやしめ軽んずる
事は出来ない」と言った。此の比丘はいつでもどこでも、この言葉
を大声に呼ぶので、世間の人は此の比丘に常不軽というなをつけた。
此の経は能く一切衆生を救いたまう者なり
寒き者の火を得るが如く
子の母を得たるが如く
渡りに船を得たるが如く
暗に灯りを得たるが如く
此の法華経も亦復是の如し
このお経は、一切の人々に救いを与えてくださるお経です。
寒さでふるえているものが、ようやく火を得たように、子供の
ところに母親が来たように、川を渡ろうと思っているときに舟
が来たように、暗闇の中に灯りを得たように、この法華経も全
くそれと同様に救いの道を明かしてくれるものである。

10、法師守護の図 -陀羅尼品-
彫刻  加藤寅之助
我等も亦 法華経を読誦し
受持せん者を擁護して
その衰患を除かんと欲す
若し法師の短を伺い求むる者有りとも
便りを得ざらしめん
私達もまた、法華経を読誦し、受持するものを守護して、
その衰えや患いを除きたいと思う。もしも法師の短所を
うかがい求めるものがあったとしても、よくその依りど
ころを得ることがないようにさせよう。

彫刻について
この法華経説話彫刻は、当山第十六世観明院日済上人の発願によるもので、篤信者鈴木
源次朗氏の丹精協力を得て、大正末期より昭和9年に至る十数年の歳月を費して完成。

大正11年、加藤寅之助師が「法師守護の図」を完成した、 師の発案で残りの9枚
を東京在住の名人彫刻師に依頼することが決まり、 大きな欅(けやき)の彫刻材が
各師のもとに運び込まれた、しかし、大正12年の関東大震災に遭って、全ての彫刻
材を焼失してしまいました。 再び欅材を日本全国に手配し昭和元年ようやく巨大な
欅材が集まり本格的な彫刻工事が始まりました。  従って、得難い彫刻材と言い、
木彫技術の点についても希有なもので、文化財的価値の極めて高いものです。  
                                            

彫刻下絵は、法華経の絵解きの図を参考にして高山英洲師が描き、独特の構図である。

欅材1枚の大きさは、縦巾1.27m、横巾2.27m、厚さ20Cmの入手困難な材料です。 

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