こだわりの七味唐辛子、日本三大七味「やげん堀」「七味屋本舗」「八幡屋礒五郎」七味発祥の地で今でも続く「大木唐からし店」日本橋両国界隈の江戸時代の古地図、古い地名の由来、両国花火など情報満載。 | ||||||||||||||||
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* 「七味唐辛子」の歴史 | ||||||||||||||||||||||
唐辛子は中央アメリカ・南アメリカ・西インド諸島が原産地で大昔から栽培されていた。
コロンブスがアメリカ大陸発見の時、中南米チリで「インディオ」が痙攣や下痢の薬として使っていた「唐辛子」を 発見(1493年頃)それをスペインに持ち帰えった。 その後、スペインから日本へ「漢方薬」として入った。 1625年(寛永2年)薬を工夫し、食に利用できないか考案したのが「からしや徳右衛門」と言われています。 これが後の「やげん堀唐辛子本舗」で「日本三大七味」の一つです。 江戸時代の中期、両国橋西側たもとには薬(漢方薬)問屋と医者の多くが集まっていたので、この地で発展した。 その後、現在の浅草に移転しました。 七味の「赤唐辛子・山椒・陳皮・黒胡麻・麻の実・けしの実」は全て風邪に効能あり。 |
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「やげん」=薬研で、漢方薬を 磨り潰す道具のことです。 |
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*「薬研堀」の言われ
正保2年に大きな堀を持つ徳川幕府の米蔵「矢ノ倉」が出来た。元禄11年に火災で焼失、以後蔵は 築地へ移転。その後、堀の一部が残り、底がV字形で浅く「薬研」の形に似ていたので「薬研堀」の 地名になった。安政6年の地図には「薬研堀」が在り、嘉永3年には「薬研堀」と名が記されています。 この「薬研堀」には「元柳橋」が架かり、花柳界に通う芸者衆も多かった。また医者も多く暮らした。 (次ページの「両国橋界隈・江戸時代の歴史」の江戸古地図を参照して下さい) |
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* 現在も、東日本橋から両国橋寄りに在る「薬研堀不動院」=その名残りです。
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「薬研堀不動院の歴史」 大本山川崎大師平間寺東京別院薬研堀不動院は、古くから目黒、目白と並んで江戸三大不動として知られ、 「江戸名所図会」をはじめ多くの文献に紹介されています。 ご本尊・不動明王尊像は、崇徳天皇の代、保延3年(1137年)真言宗中興の祖・興教大師覚鑁上人が43才 の厄年を無事にすまされた御礼として、一刀三礼敬刻され、紀州・根来寺に安置されたものです。 その後、天正13年(1585年)豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都が尊像を守護して葛籠に収め、 それを背負って東国へ下りました。やがて隅田川のほとりに有緑の霊地を定め、堂宇を建立しました。 これが薬研堀不動院のはじまりです。幾多の変遷がありましたが、明治25年(1892年)真言宗智山派大本山 川崎大師平間寺の別院となり、今日に至っています。 (薬研堀不動院案内より) |
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「やげん堀唐辛子本舗」は後に浅草へ引越したが、自宅はこの
「薬研堀不動院」の近くに有り、最近まで住んでいました。 両国橋には芝居小屋も沢山有り、江戸一番の繁華街でしたが 明治に入り、娯楽街が無くなり商店街と変わりました。 人の集まる浅草寺の方が商売になり移転したと推測されます。 また「講談」の発祥の地でもあり「やげん堀縁日講談の会」が 薬研堀不動院本堂で、現在も毎月28日に開催されています。 地元=歳の市保存会・商店会・二丁目町会の後援協力です。 天保9年(1838年)順天堂の始祖・佐藤泰然が和蘭医学塾を 開講したのがこの地です。順天堂発祥の地碑が有ります。 その後、現在の浜町3丁目に在った堀田備中守・下総佐倉藩 の上屋敷に病院を設立、安政6年(1859年)頃の事です。 こんな事で薬研堀町には多くの医者が住み、矢ノ倉町には 病院も多く出来「医者町」とも言われた。 |
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この界隈のシンボルとして今もたたずんで居ます。12月27日から3日間「羽子板市」と「出庫市」が立ち賑わった。 現在も歳末大売り出しが行われ、問屋街の大出庫市も、昔と変わらぬ賑わいが続いています。 |
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ヤゲンボリフドウと左手前が両国橋、右手前が柳橋
文化6年(1809年)の絵より (分かり易く赤で塗った) 天保の改革(1841年)で本所に移転、 明治維新後 再び元の土地に戻ったとも言われています。 |
講談発祥の地碑
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薬研堀不動院=明治時代の風俗画報より
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順天堂発祥の地碑
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* 日本三大七味 (やげん堀・七味屋本舗・八幡屋礒五郎)
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* 薬研堀の地に昔から在る「七色唐辛子店」 (令和3年7/31閉店しました) | |||
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* 七味唐辛子の比較
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やげん堀
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八幡屋礒五郎
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大木唐からし店
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七味屋本舗
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創業1625年
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創業1655年
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創業1720年
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創業江戸中期
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1625年=江戸薬研堀で考案された「七味唐辛子」
↓ 1655年=京都・清水寺へ南下 ↓ 1720年=長野・善光寺へ北上した。 七味の内容は異なりますが、食文化の違いで変化しています。 関東=「濃口醤油に蕎麦」・・・・.蕎麦は濃いタレに一寸付けて.一気にすするのが粋な食べ方とされた。 関西=「薄口醤油にうどん」・・・風味を大事にしますので青海苔・白胡麻・紫蘇が入り風味豊かになる。 長野=「辛口醤油に蕎麦」・・・・.関東よりも濃く、生姜・青紫蘇が入り、.赤唐辛子の量が多いので辛い。 *大木唐からし店は「やげん堀」と同じ内容ですが、唐辛子の産地と焙煎の方法が異なり色合いが違う。 |
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* 七味唐辛子の効能 (素材提供=大木唐からし店) | ||||||||||||||||||||
「赤唐辛子」
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「山 椒」
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「胡 麻」
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ナス科(南米原産)
胃痛、消化不良、水腫、歯痛、リュウマチ、扁桃腺炎、うがい薬。 ビタミンA・B、カロチノイド、新陳代謝、中性脂肪低下、発がん予防効果など |
ミカン科(中国原産)
麻痺(局所麻酔)鎮痛鎮痙攣、虫駆除、カプサイシン、など唐辛子の成分に似ている。 |
ゴマ科(アフリカ産)
血中脂質調整効果、毒性の高い過酸化脂質除去、不飽和脂肪酸を助け老化防止、ビタミンE、リノール酸、オレイン酸、カルシュウム、マグネシュウム、鉄分含有。 |
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「芥子の実」
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「麻の実」
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「陳 皮」
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ケシ科(地中海産)
植物油含量高い、止潟薬効能、香味づけか主で効能は少ない。たんぱく質、カルシュウム、ミネラル豊富。 |
クワ科(ヨーロッパ産)
大麻の種子、中国では五穀の一つで主食にもなる、スパイスとして食欲増進、たんぱく質、脂質高く、亜鉛も含まれる。成長障害、皮膚炎予防。 |
ミカン科(中国産)
温州みかんの皮を乾燥したもの、朝鮮人参より高価され原名「橘柚」(きつゆう)、フラボノイド配糖体、ペクチンなどで健胃消化薬、鎮咳去痰薬。 |
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「生 姜」
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「紫 蘇」
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「青海苔」
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ショウガ科(熱帯アジア産)
干した生姜は鎮痛、鎮咳、解熱作用が強く、その効果は生より数倍高い。食欲増進、解熱、鎮痛と作用があり、かぜ薬、健胃消化薬、鎮吐薬、鎮痙薬。 |
シソ科(中国産)
シソアルデヒド、リモネン、ピネンなどが含まれ、殺菌、防腐作用があります。咳や痰止め、発汗、健胃、整腸、食欲増進の効果あり、鎮咳去痰薬、かぜ薬など。 |
海草類の中でも、カロチンが多く、ビタミンB1・B2・C、ナイアシンなどが含まれ、食物繊維も多い。カルシュウム、マグネジュウム、亜鉛、銅なども含まれ細胞老化防止効果など。 |
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*「芥子の実」は太平洋戦争中は入手困難となり、代わりに「青海苔」を使ったと大木唐からし店に記録有り。 | ||||||||||||||||||||
両国橋界隈の江戸の歴史へ | |||||