The Mizuuri 回想録 Vol.1

いやー!なんとか始められましたぞ。ミズウリ回想録。
「人に歴史あり」ジョニー黒田が、指1本で書き込んだアンソロジー。
皮肉なことに彼は自分では、見られない環境でございます。
PCをお持ちでないとの事、「見たいんだ」と声を掛けられた方は、
嫌がらずに見せてあげてください。
管理人からのお願いでした。
文章はオリジナルを尊重したページを作っていきたいと思っています。
表現のニュアンスは、本人の個性と思ってくだされば幸いです。
誤字・脱字・間違いがありましたら、ご指摘下さい。
背景画面は単色が見やすうございます。
見た目パッとしませんが、読みやすさを優先いたしました。
ご協力者また関係者に感謝いたします。
2004年10月3日
管理人:大ちゃん
協力:あおっちさん

By ジョニー黒田

第1幕 旅立ち

第1章 おいたち

 おいらがジョンの歌を歌う訳。 投稿者:殿 投稿日:2003年11月6日(木)17時03分05秒

近頃このHPに登場してきた昔の仲間達の事を考えていたら、ここいらで一度、今までの経歴を
含めたビートルズの音楽を始めた経緯などを思い出してみょうと思います。
だけどあくまで自分の記憶だけなので多少の誤差があるかもしれないのであまり深くは書けない
けど。
次回から少しづつたどってみたいと思うよ。興味のない方は、どうぞとばしてかまいませんので、
あくまでも独り言のつもりだから。

 ビートルズとの出会い 投稿者:殿 投稿日:2003年11月6日(木)18時31分17秒

おいらが生まれたのはビートルズがデビューした年の11月29日の夕方、かなり早産だったらしく
超未熟児でその頃の医療技術では、生き残るのが五分五分だったらしく大きくなってからも近所
の大人達からは「お前はよく育ったもんだ、普通なら死んでる」とよく言われた。
周りにはまるで期待されていない子供だったみたい、家の事情で物心ついた頃には、ばあちゃん
と二人ぼっちだった。そして、丁度その頃、お隣の12歳上のあんちゃんもおいらと同じ境遇だった
らしくよく一緒に遊んでくれたよ。
そんなある日、そのあんちゃんに連れられてあんちゃんの友達の家にいったんだ。
その頃の年頃のあんちゃん達にとってのスティタスは木製のキャビネットに象られたステレオをも
つ事だったらしく、そのお披露目ってやつさ、その時のおいらは借りて来た猫よろしく大人しく次か
ら次にかかる当時の歌謡曲などをだまって聞いていた。
なんたって12歳も上のあんちゃんだし、やかましいとすぐに殴られたからね。そしてそんな中おいら
の耳に「アハードディズナイツ」が鳴り響いたんだ。「衝撃」と「電流」がおいらの体じゅうの血管を流れた。

 熱中時代 投稿者:殿 投稿日:2003年11月7日(金)00時02分21秒

あの衝撃的な日いらい、毎日のようにレコードを持ってるあんちゃんの家に押し掛けては怒られ
ながら聞かせてもらってた。たしかシングル盤じゃなくてEP盤といわれる4曲位入ってるやつだったよ。
そして思い切って子供の特権を最大に利用したかわいい笑顔で「そのレコードちょうだい!」・・・
もちろん殴られた。シカタナイから年に何度か帰ってくる母親に電話口でせがみまくった。
最初のうちは「子供の聞くもんじゃない!」の一点張り、でもあまりのしつこさに折れて誕生日に
買ってくれる約束をしたんだ。
でもだいぶ間があったので、あいかわらず保育園が終ったらら、あんちゃんの家に直行!
いい迷惑だよね。そしてしばらく時がたってついに買う事が・・・できなかった。
なぜか?親に送ってもらった500円を握りしめて町のレコード屋まではいったんだ。
一人でね。でも当時3,4歳のガキが字なんて読めるわけなくて曲の題名が分からなかったんだ。

 熱中時代2 投稿者:殿 投稿日:2003年11月7日(金)00時40分46秒

レコード屋のおばちゃんの前に500円をしっかり握りしめた幼児が一人。何を思ったか大声あげて
歌いだした・・・錯乱幼児の逆ギレってとこかな?しかし、そのおばちゃんもたいしたもんで、じっと
おいらの歌に聞きいってる。そして、おもむろにレコード棚から手早く一枚のシングル
盤を取り出し
おいらに差し出したんだ。あ〜今でもよく覚えてる。まるで中世のナイトのようなトランプ姿の4人・・・
ここでマニアの人なら?と思うはず・・・おいらが買いたかったのは、もちろん「アハードディズナイツ」
しかし後にも先にもそんな格好のジャケットの盤はない・・・つまり間違えた・んじゃなくて、
おいらの歌がめちゃくちゃだったのか?いや、販売欲にかられた店側の陰謀か?
今となっては永遠の謎だが、そこはさすがの幼児!なんのうたぐりももたず手持ちのお金を払うや
いなや一目散に家路へ・・・そして家のポータブルプレーヤーにのせ針を落とした・・・
保育園児として人生最初の絶望と挫折。流れてきたのは「アンドアイラブハー」

 まだまだ熱中時代 投稿者:殿 投稿日:2003年11月7日(金)01時47分59秒

やっぱもう少し書きます・・・おいらの育った町は富山県の魚津市の漁師町、気が荒いおやじ達が
佃煮にするはど生息してるところ。おいらの家から海岸線まで約50m位かな?近所のガキ共にとっ
ては海が遊び相手。もちろん、おいらもゴタボウにもれずそのガキ共の一員。いたずらばっかりやっ
ては友達の親達からは悪い意味一目おかれてた、話はもどるが、本意でないEP盤を手に入れてしまっ
たおいらは、シカタナクそいつを毎日何度も何度も聞いてた。
すっかりの「アンドアイラブハー」を口ずさみながら、きっとこの海の向こうにはあの4人が今この時も歌っ
てると思うとまた涙が・・・
しかし、さすがの幼児、自らの地理的位置はまだ理解していないのである。この海の向こうは、将軍様
のお国・・・それに向かってまるでお経のように歌う「アンドアイラブハー」。惨すぎます・・・
だけどこの頃が一番のファンだったんじゃないかな。
とりあえず一部はこの位で・・・感想をオマチシテオリマス カシコ