近くて遠い町、韓国、プサン
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韓国への旅立 21世紀になった現在、日本と韓国はその地理的な位置関係に違わず、かなり近い国となってきた。日本の書物や映画が少しずつ韓国でも公開され始め、韓国出身の芸能人が日本のテレビにも登場している。ワールドカップの共同開催も間近だ。しかし本質的な関係の改善には私たちの年代の日本人にはわかりにくい図り知れない壁があるようだ。私がプサンに旅をしたのは大学時代の後半、1985年頃の話である。既に戦後40年も経っていたがビザなしでは入国できなかった。旅行料金も現在のような価格破壊が進んでおらず、決して気軽には入国することができなかった。 この時の旅は工場見学が主目的であった。当時急激な経済発展を遂げていた韓国は、停滞気味の日本の第二次産業より魅力的であった。 私にとってこれが初めての海外旅行であった。この時、韓国からの情報はまだ限定されていた。今のようにインターネットもない。韓国への観光などなりたっていない時代だったのでガイドブックも十分ではない。私はまだ旅行自体さえ慣れておらず、初めての異国であり、期待以上の不安があった。 移動は飛行機ではなく船である。山口の下関からプサンまでフェリーが出ている。山口まではバスでの移動であった。この時期、私はまだ新幹線なるものに2回くらいしか乗っていない。飛行機にいたっては一度もない。(正確には26才までない。)今考えても極端に旅行経験が少なかったし、興味もなかった。 |
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到着 プサンに行ったのは随分昔のことであるが、よっぽど印象に深かったのか覚えていることは多い。プサンでの写真撮影は気をつけなければいけないこと。軍需施設が多いため、スパイと誤認され射殺されても文句がいえないらしい。韓国は今でも徴兵制がある。そのうえ朝鮮とは休戦協定しか結んでおらず、同民族同士の不幸な朝鮮戦争はまだ終わっていなかった。(今でもそうだろうか?)日本のような平和ぼけ国家ではない。 同行した大学の講師には第二次対戦の思い出を聞かされた事も覚えているが、おもいだすだけでも腹立たしい話であった。彼が冷静に話すこと自体、「この人に精神的な異常がある」と認識せざるを得ない内容だった。彼も精神的には戦争の被害者であったといえば聞こえはよいのであるが、本当にそれでかたずけてよいのだろうか。今でも憤りを感じる。こんなことだからいつまでたっても日本と韓国の関係は改善しないのだと痛感した。話の内容は想像にお任せする。今はこんな老人も少なくなっており、いよいよ本質的な改善の時期に来ているのではないか。やはり多少は時間が解決してくれるという効果を認めざるを得ない。 |
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工場見学とカジノ プサンは予想とは異なり素晴らしい町だった。美しい町並み、安い物価、おいしい料理、豪華なホテル、人々も随分フレンドリーで日本人以上の親しみを感じる。(表現は悪いが、在日韓国人の人たちと雰囲気が随分違う。)自然があまり残っていないのは残念な話ではある。日本にも多少の責任がある。ただ主犯は李朝朝鮮らしい。 まずは工場見学に向かう。この当時、韓国はソウル・オリンピック前の高度発展の時期であり、まさに重工長大発展の時期であった。日本の産業が人件費の高さからすこしずつ韓国に第二次産業のシェアを奪われていた時代である。とにかく装置のサイズが日本の物とは比較にならないほど大きい。もちろん写真撮影は禁止だったのでイメージが自分の中で歪んでいるかもしれないが、第二次産業に従事しているにもかかわらず、未だにあんな巨大な装置を見たことはない。 韓国の夜の町といえば当時は風俗で有名だった。今はどうか知らない。しかし私個人的には風俗が嫌いだったのであまりプサンの夜は楽しめないかと思った。しかし別に風俗に行かなくてもプサンは夜は興味深い。とにかく活気がある。町は明るいし、屋台もある。夜に出歩いてもそれほど危険には感じない。それ以上に衝撃だったのはカジノであった。生まれて初めてのカジノは神秘的で、暗い中でなんとなく大損をすることがわかっているのに止まらない。さいころの出る目に一喜一憂する。結果としては大学生にあるまじき金額をロスしてしまった。 ホテルは素晴らしいものだった。大学生だからカプセルホテルしか知らなかったせいかもしれないが。内装は豪華で、風呂は大理石。高台のホテルであり、眼下の夜景も美しい。これで一人5000円であった。今でも信じられないほど低額である。日本ではあり得ない。 |
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水あたり 屋台で買ったイチゴを水洗いして食べたら水あたりした。水が恐いことはよく知っていたが、いちごを洗った水でやられるとは思わなかった。水には微生物がいるが決して毒ではない。ただこれがこれが腸内微生物とあわないと水あたりする。一般的な話で国内旅行でもある。地元の人がいくら飲んでも大丈夫な水でも水あたりは防げない。もともと腸が弱い私は、水を飲まないことが旅行の鉄則であったのに。ポリ袋いっぱいのイチゴは200円程度だったことを覚えている。味も文句なしであった。 残念なことは次の日の焼肉が味わえないことであった。それでも少しは食べた。食い意地だけはだれにも負けない。すでに座ることさえできないほどのひどい状態なのに、焼肉がおいしかったことは覚えている。 |
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大学 大学の研修ということでプサンの大学をたずねた。美しいキャンパスだが、驚いたのは軍隊の訓練が構内で行われていることだ。韓国に徴兵制がある事はこのとき始めて知った。最初は大学の体育の授業かと思ったがよく見れば迷彩服であった。ほんのわずかな距離の隣の国では戦争はまだ遠い過去の話ではなかった。しかしそれ以外の部分は普通の大学であった。日本人より英語が堪能である点にも驚いた。米軍と一緒に訓練をすることがよいきっかけになっているのではないか。問題はわれわれ日本人が英語を話せないことである。私もこの時はまったくしゃべれなかった。 このとき漢字の便利さを実感する。筆談ができるのである。初めてわれわれが同じアジアにすんでいることが実感できた。 韓国は意外に日本語が通用した。まだ観光が本格化していない時期である。日本ではこれほど韓国語は通用しない。韓国と日本の関係の障害になっているのは日本側により多くの問題があるようだ。ただ日本人が外国語を苦手としているのはは韓国語に限ったことこではない。まず英語から始めなければならない。これは日本語の柔軟性が高いことに原因があるだろう。特にカタカナという世界的に見ても優秀で便利な言葉は日本人の言語力を随分だめにしているように思う。(2001年3月29日更新) |