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一日の時間は、24時間。こればっかりは「誰かは30時間有って、その分誰かは6時間少ない」…ということもなく、誰の上にも時間は同じように通り過ぎているはず。それなのにナンデ私にはこんなに時間が無いのぉ?気がついたら夜になって寝る時間になってるのはナゼぇ? やった事に最終的にこんなに開きが出るのは何故なんでしょう…なんて、考えていたんですよ私は。
人は、「なるべくなら心穏やかに一日を過ごしていたい」と誰しも願っていると思うんですね。
その為に人は、様々にその人なりに、何か特別な「癖というか」「過ごし方というか」を持っていて…そういった儀式的なことをすると、なんとなく心穏やかに居られる…。そんな感じじゃないかと思うんです。例えば私なら、昔は絵を描くことでしたし、今は有る程度パソコンを触る時間がないと、正直ちょっと、辛いです。(笑)
あるいはその他にも人により「ショッピングするぞ」とか「ドラマ見るぞ」とか「立ち話しちゃうぞ」とかあるいは「働くぞ」とか「パチンコするぞ」とか、はたまた「ダラダラしちゃうぞ」とか「飲み食い」とか色々あると思うんです。
実際、人は何とかしながら生きていかなきゃ仕方が無いですから、人其々に創意工夫で乗り切っていくしかありませんで。その工夫でその人が、一日を心穏やかに送れるのならば、それはそれで…です。(^_^;)
けれどまあ、そうは言っても「時間やお金や健康やetc..」を、それで底つきにしてしまうわけにはいけませんから、程々の所でまた何とか対応策を考えていかなきゃなんない…という事情もまた出てくると思うんですよね。
正論極論「時間を増やす」には…、やっぱり「何かに現在割いている時間」を減らして捻出して回して持ってくるしかない。(^_^;) よく聞かれる「ソレをしている暇にアレをすればいい」というアドバイスは、まさに的を得た正論なんですよね、マジで実のところそれしか無いでしょう。私もよく頂きましたこのアドバイス。実際ホントそう。
が…です! こういった癖の儀式は、その人個人にとっては心の均衡を保つために、「誰に何と言われようが」外せない大切な一日の必須の「最重要の日課」…なんですよね。
その点からすると、この「的を得た正論のアドバイス」は、同時に「全く的を外している」…とも、言えるわけで。
なにしろ、「アレをする暇を使ってソレをしなければ、その者は穏やかでは居られない」…のですから。(^_^;)
この「最重要の日課の時間」から「削って時間を捻出する」ということは、結局はやっぱり「それを減らしても心穏やかに居られる」という辺りを模索していくしか、やっぱし無いかも…なんて思い至るんですよね。
それで、次にこの「心穏やかに居られる」という所に注目してみるわけです。
「癖の儀式を行えば、心穏やかに居られている」ということは、それ以外のことを行っている時はどうやら、結構リキ入れて踏ん張っているからかもしれないぞ?というところが見えてきたりするんじゃないかなと思うんですね。私の場合、家事、食器を洗う、洗濯をする、掃除をする、アイロン、修理修繕整理整頓、裁縫、家計簿、etc..。(^_^;)
家事は大変。 …だって上手くはかどらない。はかどらないので億劫になり益々はかどらない。あるいは興味が沸かない。はたまた、「して当然」「出来て当たり前」という思いがあり(自分にも。社会にも)、比べて当然のように出来ない興味が持てない現実。同じ時間を外で働いたら、感謝も評価もお金も入り?…比べてこっちは…して当然出来て当たり前。面倒ごとで、やったもん損。義務で惰性で仕方なく…。こういう思考の流れはでも実は、ココロ的には自然の流れ…とさえいえるのではないでしょうか。
面倒事を義務でやるとなると、どうしたって疲れます。疲れは癒さねばなりませんから、それなりの発散方が要る。それをやっていると日々の時間がいつのまにか消費される…。
「面倒事」「義務」…ここいら辺りが浮かび上がってくるでしょうか。
「心穏やかな時間を割いて違うことをする時間を増やす」には、その違うことが、「好きで楽しい」ものであることが、一番摩り替えには有効でしょうか。 だってほらもう、好きで楽しいことをしているなら、感謝も金も労力も、人は厭わないものじゃないですか。好きでやってるんですから義務感で無理にお尻をペンペンしなくてもオッケーです。反対にお金払っても「やらせてくれ〜!」に、なったりして?
というわけで、今度は「面倒な義務感をナントカする魔法」…に続いたりして。(笑)
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