〜ほんの少しのやさしさを〜
-「叱らないしつけ」のすすめ-
平井信義 新紀元社  初版2003 (1200円)


子供を叱っている場合ではない

この本は、著者が一年半にわたって東京新聞や中日新聞などに連載していた短い「しからないしつけ」のコラム、を出版社編で纏めたもの…だそうです。内容のほうは「「心の基地」はおかあさん」とすっかり同じなのですが、こちらのほうはその事例がコンパクトで、しかも多彩で具体的で、情景が実に生き生きとせまってくる感じがしました。(^_^)
そういうわけで心に残ったコラムを幾つかご紹介。

お友達と仲良く遊べない。(二歳)
我が子にお友達と遊び場を…ということで親は公園に出掛けます。なのに子供達は互いに相手におかまいなしで物の取り合いをしたり叩き合ったり…。仲良く遊べない子供のことを親は「悪い子」と思ってしまい、何とか「良い子」にしなければと思います。
…でも二歳代の子供の遊びは「並行遊び」(一つの場所に二人で遊んでいても勝手に其々遊ぶ)。互いの玩具が興味の対象になればひったくったり取り合ったりの喧嘩になって当たり前。二歳代の子供に友達を与えること自体が間違い…なんですよ〜。

親と子供とお片付け。
著者は研究員二十人と3年間「片付け」をテーマに研究していたそうです。(凄)
自発的な子供は次々に遊びを生み出し切れ間がなく、それは想像的な画家のアトリエが外目に全く乱雑なのに似ているといいます。…後片付けなどに心をとられていては、想像的にも自発的にも何も生まれないというのですね。それは、生きるっていうこと自体が、切れ間無く広がり続けるもの…だからかもしれません。
とはいえ片付いていれば、次何かをする時便利です。清潔で気持ちもいいです。
著者が問題と見ているのは「強迫的に片付けていないと気が済まない親」です。
他人からの非難を恐れ見栄えを気にし、家族に片付けを命じる。「きちっと片付いている家」に行くと、なんとなく冷たい感じがする、「よく片付いていない家」にいると暖かさを感じる…なんて話もあがっています。(なんだか個人的にホッ(^_^;))
子供は思春期にもなれば「美しさ」に憧れも持ちます、今急いで片付けの良い子にする必要はなく、待てばいいんですよと。

我慢する力を育てる小遣いの与え方。
最初は与えられたお金を全部一度に使ったり、すぐ壊れそうなものや大人が見れば毒々しそうな御菓子の類も買うでしょう、でもそれも一つの経験。過干渉はしないで、日給制にして小額与えて様子を見るのが良いです…と。
そのうちに買い物も上手になり、また貯めてまとまった額の大きいものも買いたくなってくれば、週給制に。もっと上手になれば月給制にするのが良いですよ…と。一ヶ月間に、どんなものをどんな風に買えばいいか、計画を立てられるようになれば、グー。(^_^)

失敗に謙虚にメゲない素直な子。
子供から「お母さんだって!」と指摘されたときに「そうだね」と言えるお母さんは、子供に謙虚に反省することを教えています。 小学校二、三年生頃の子供は親を批判する能力が発達して来る頃。同時にそれは子供達が「自己批判の能力」も身につけだしたことも意味しているわけで、その時期親がどういう態度を示すか…が、そっくりそのまま子供に吸収される…ということで。
謙虚は、人格の中でも大切なもの。親はうっかり威張りがち。とくに子供に対するとき威張りがち。威張るのは反省する力を失っているから。…そうかもしれませんね。
 …欠点の多い未熟な人格の持ち主である親の言うことに従っている子供達は素直な子供。その子達を思春期以降、登校拒否やノイローゼなどにさせたくない、そういった著者の思いがあふれています。

思いやりについて…。 以下、よく見る光景です。
「列車の中で幼児を窓際に、母親は反対側の肘掛に肘をつき、そして二人の間に荷物が鎮座。列車の混雑や他のお客のことは眼中に無く、お年寄りが頼むと返事もせずいかにもイヤイヤ荷物を取り子供の方に寄ります。」
「老人優先座席に母親らしい人と一緒に座る若者。前に老人が立っても知らん顔で二人であれこれ話し合い、親の方も若者を立たせようとしません。」
「バスを待っている行列の前の方に子供をやって、席を取らせる親。しかも子供がまごまごしているうちに席が無くなってしまった時には後から乗り込んで来た親が“何をグズグズしているんだ”といって叱ります。」

自分本位で「思いやり」が無い…家族エゴイズムが子供をエゴイストに育てます。親は、親子関係は大切にしているかもしれないけれど、我が子に「思いやり」の心を育てようとする気持ちはないようで、逆に子供に「自分本位に自分達が座れて楽であれば、社会の秩序を乱しても構わない」と教えています。

「思いやり」の心の乏しい社会は、ぎすぎすした社会になってしまいます。
親子は、その時は「自分達は座れて楽でよかった」と思っているかもしれませんが、
「思いやり」の心が育っていない子供は、親に対しても「思いやり」がありませんから、子供に面倒を見て貰いたい年齢になっても、子供はそ知らぬ顔をしています。やがて体の自由が利かなくなった頃、ぎすぎすした社会が到来する種をせっせと自分で蒔いている…。その際には自分の功罪は問わず手っ取り早く専門家や政府に相談をして答えを貰う気でいるのでしょうか。

ところで著者が使う「叱る」という言葉は、相手の心や立場も思いやらずに威圧しながら喋る…という意味であって、躾無用といった放任ではないということは、きっちり押さえられるべき…だと思います。