〜「心の基地」はおかあさん〜
-やる気と思いやりを育てる親子実例集-
平井信義 新紀元社  再版2003 (1200円)


「よい子」も「まじめ」も褒め言葉ではありません。

子供の発達に関するわが国一番のオーソリティかもしれません。この本は「140万部突破のベストセラー本の新装版」だとか。私の育児本読書暦もついにここまで辿りついたか〜っていう気分です。(^_^) 

著者は「叱らないしつけ」「思いやりのある育児」「非まじめ育児」を奨励しています。
著者の言う「叱る」とは、力や権威で子供を威圧し押さえ込み、絶対にいう事を聞かそうとする行為。相手の気持ちや立場を考えること…「思いやり」。それには「〜でなければ」というような真面目でゆとりの無い視点ではだめ、真面目でなど無いほうがいい…そういうことの奨励です。

子供はいつも冒険心を持っていて、次々に新しいことを自発的に思いついて行動してゆく者達です。だから時に賑やかであったり、いたずらであったり、下品でもあったり、無茶をしたり、羽目も外しますし、やんちゃです。それらは皆「子供らしい」「良い子」である証拠の行動だと言います。
でも大人達の考える「良い子」とは大抵、真面目で、言う事をよく聞いて、扱いやすくて手間を取らせない子供です。だから前記の子供像は大人達にとって「悪い子」という評価になります。そういうことをすると叱り抑え付け、時に厳しく矯正する…こういうことを大人達は気がつかないうちにしてきてしまっているんですね。

子供達に対して、「思いやり」の心を持っていたら、叱ったり脅したりするような辛い躾など、とうてい出来るはずがない。「決まりだから」とか「怒られるから」とかな理由では、人は根に不満を宿したままです。「自発的」に自分から「自分がスッキリするから」「やりたいから自然にやる」こういうしつけは叱られることでは身につかない。「思いやり」は、「思いやられた」人が獲得出来る…そういう風に書いています。

「暖かい信頼関係、情緒的な結びつき」を軸に、子供の自発性を伸ばしながら思いやりの心で育くんでゆけば、子供は自然と自らも思いやりの心で、自発的に人々に接するようになる。自発性が育てば、子供は自然に積極的に友達を求めて一緒に遊ぶようになり、「けんか」をしながら友達と遊ぶことを楽しめるようになってゆき、そして親に相談出来ないことやも友達同士で相談したり、経験したりしながら、更に自発性を育て、親から離れていく…。これはとても重要なことです。

確かに子供は、親から「褒められたい、認められたい」と願い、厳しかったり理不尽な躾に対しても従おうとします。でも、親に言われた通りに行動するばかりでは人間の「自発性」は発達してゆかない。自分で考えて自分で選んで行動する…これが自発。
思春期になろうがその先になろうと、子供は自発性を取戻す為にその時期築くはずであった情緒的な結びつきを求めて行動しますから、幾つであっても、親はその情緒的な結びつきを回復してやることが大切。その「業」を務めてください…と。
逆に言えば、小学校低学年時期までに情緒的な結びつきを手にさせてやれたら、その後も思春期も惰性でなんとかなる…とそういうことでも? 「まず、親との間の情緒的な結びつきが起点になっている。親はそのことをよく知って、その結びつきを実現する努力をしてください」と。

ところで、そんな数々の話を読んでいるうち、以前に起きた一つの事件が脳裏に浮かびました。 …いつでしたか、専門家に家庭内暴力の酷い息子のことを相談すると「息子のしたいようにさせるように」と勧められ、その通りにしていたけれど一向に止まない暴力に思い余った父親が息子を殺害してしまった…というものでした。その専門家の助言「息子のしたいようにさせる」は、著者の系統の専門家の助言であったのだろうな…と。(著者は「無言業」と名づけています)

しかし息子の怒りは納まらなかった…。何故だったんでしょうね。
著者のいう「叱らない」とは、将来子供が困らないように伝えるべきはきっちりと伝え、教えるべきはきっちりと教え…といった「親が引き受けねばならない事柄役柄は、きっちりと引き受ける」は、何より前提となっていると思われます。それが、著者の中では当たり前過ぎてあまり書かれていない?