〜 ひとりひとりの子ども 〜
-精神科医がみた子どもの世界-
川端利彦 編集工房ノア 初版2001 (1575円)


子供の見ているもの。

この本は、40年間子供達と向き合ってきた精神科医が、20年前に出版したものをほぼ元型そのままで復刊したものなのだそうです。 特徴としてあげられることは、“人はそれぞれ「自分の視点」で物事を見ていて、うっかりするとそこばかりで見過ぎてしまう場合がある”…ということ、これが全編を通して述べられている点でしょうか。

「医者」は親の話を聞き、その心労を取り払う手伝いがしたいと思えば「子供に病名をつけて薬を処方してしまう」ばかりに走ってしまいがちだし、「教師」は学校をスムーズに運営したいと思えば「管理の名目で子供達のほうばかりを改善」させたがりがちだし、親や周囲の大人も、「育て方」という「方」に固執し、「方」を見ながら「うまくいかない…」と嘆くといった、ともすれば自分の立場上からしか物事を見ないでしまう時があります。
でもそれはダメ。何よりも子供が見ている視点、ひとりひとりの子供が何をどういうまなざしで見ているのかを知ろうとするところから何事も始まらなければ…と、優しく、丹念につづられています。

この本には軽度発達障害とか学習障害とかいう子供達の病名は出てきません。
それは、そういった名前がついた途端に人は、どうしても「そういう視点」でものを見てしまい、そこから視点か放せ難くなって固定してしまう…ということからだと思われます。
親は新しい人に出会う度に「この子はこうなんです」と説明します。すると子供は「ああ、自分はそうなのだ」という視点を固定させてしまう…。「親がそういうのだから間違いないのだろう」と受け入れてしまう…。(言葉が、事実を作り出す原因となってしまう)
そのことが非常に重要な問題要素となっているように考えておられます。

また、大人達は子供が「成長した」あるいは「よくなった」ということを大変喜びますが、それが「知識や器用さ」に傾きがち。そのために子供達の成長がいびつになってしまうこともあるのです。
子供達はいつでも親を喜ばせたいと思っていますから、大人達の願い通り期待通りに知識や器用さを身につけ、そして親は更に喜びます。それは一件良いように見えますが進んでゆくうち段々と、「本当はまだまだ甘えたい盛りだし、甘えが必要である年齢」であるのに、親に「甘えられない、甘えさせてもらえない」という事態につながりがちだというのです。それで成長がいびつに歪んでしまうのです。

大人はよく「指導」という言葉を使います。言葉の発露が遅いとき、発達に遅れがみられるとき、その他諸々、それはなんだか「大人の側から“宜しく無い”と見ていることに対して、子供を大人の思う通りにしていく、大人の都合のいいように管理していくための方法」のことのように思えてしまう。…と、そこにも著者は疑問を投げかけています。
科学的に、とか合理的にとしながら、実は「子供を大人が望むような姿に変えること」だけが治療であり訓練の目的であるとするなら、それでは「子供の生活や子供の心の世界は知らないでもいっこうにさしつかえない」ことになってしまいます。
そうして実際、専門家は親や先生や社会から「その目的」のために利用されている存在に過ぎないのではないか…というような念にかられることもあるとつぶやかれていたのが…印象的でした。

それと似た観点で、「個性」の話が上がっています。心理学者や教育学者の多くの中に「個性が強すぎるのは問題だ」という考えがあります。「強すぎると目立つ、他人と協調できない」というわけです。…これはひとつに心理学という学問が一般に「平均的なもの」を重んじ、平均からはずれることは偏ったこと、よくないこととしがちだという面。そしてもうひとつに社会のほうも「それでは社会適応(適応=まわりの条件に自分を合わせて生きていくこと)しにくい」としがちという面からくるのだと思われます。
でも、自分勝手な行動をしたり他人の迷惑を顧みないのは、個性が強いからではなくて「自己中心的で幼児性が強い」からで、「独り善がりは個性的とはいえない」のです。

「個性は、他人との関係の中で、認め認められる関係の中で育っていくもの」であり、
「個性的であるとは、その人自身は一匹狼的でありながら、なおかつ他人と行動を共にできること」。 個性とは、他人の存在や主張をそれはそれとして認めたうえで、自分の主張を他人に認められるようなかたちできっちりと出していくこと…なのですね。

そして、親や教師や社会が最も気にする言葉、「成長」とは? 「よくなった」とは、どういうことなのでしょうか…。「知識を沢山持っていたり、器用に物事をやりこなす能力」でしょうか…。
成長とは、「他人の言葉に率直に耳を傾けたり自分の誤りを素直に認めたり出来る柔軟な心」や、「他人の立場に立ってものを考えたり他人の気持ちを汲むことが出来る幅広い心」が育まれていくことで、それには「小さい時から仲間同士の遊びの中で“自分”というものを思いきり率直に表現出来る機会を持ちながら、その中で仲間とつき合っていくこと」がとても大切で、そんな経験の中で「成長」は積み上げられてゆく…。
“言い替えれば、「子供らしく遊べる子供が、本当に大人らしい大人になるんです」”
…私自身、この言葉に大変ハッとさせられました。そして元気づけられた気がしました。

現代は「子供らしく遊べる子供」が歓迎されない風潮です。子供達はいつも「静かに、大人しく、暴れない、仲良く」と、色々な大人の注文の中で生活しています。
大人達は育児熱心で、かなり細かいことに気を使うよう求め過ぎているかもしれません。 ただでさえ、住宅事情や都市化された生活環境の中で、子供は遊び場を失い、一緒に遊ぶ仲間を見つけるのも容易ではありません。
今の大人達に、「子供の心やその成長を全体としてながめる余裕」が有るでしょうか。「生きる喜び」「生きる意味」を子供達に持ってもらうにはまず、大人達がこれを見失いがちになっていないかを考えなければいけないかもしれません。