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生き残る為に!…人は己の感情を偽り騙し、無意識のうちに生命維持を図る
著者は心の問題を考え進めておられる方々の間で非常に信望の厚い方で、これまで何度かご紹介を頂いていました。そしてやっと私も手にさせて頂きました。
まずこの一風変わった副題「ストックホルムシンドローム」ですが、これはスウェーデンの首都ストックホルムで、1973年に起きた銀行強盗事件の際の奇妙な現象です。
六日間犯人に立て篭もられたその間に人質達は、なんと犯人を好きになっていたというのです。献身的に奉仕したり、見張りを買って出たり、中には愛の告白をした女性まであったと。 そういった「弱者が強者を好きになってしまう」現象のことでした。
日本でこの名はあまり知られていませんが世界各国の人質救出マニュアルには、
「突入した時、人質が犯人をかばうことがあるので注意せよ」とあるそうで、これは実際“起こりうる注意すべき当然の現象”…なのだそうです。
命を奪われるような危機的状況下で生き延びるには、正義唱えたり憎み反抗するより、逆に犯人を好きになって協力的態度に出た方が生き残れる可能性は高くなります。
それは、無意識に(敵に意図が読み取られたらかえって危険)、「敵を欺くにはまず味方から」と、自分で自分の感情を騙してしまう現象です。
「憎い」を「好き」に置き換えて…「肉体の命」を守るために、「心の命」を犠牲にするという“緊急事態の生命維持”に脳が起こす行動…と言えるでしょうか。
著者は、家庭の中でも、なんとその「緊急自体が起こっている」と指摘し、それを「家庭内ストックホルムシンドローム」と呼んでいます。(DSS:Domestic Stockholm Syndrome)
生殺与奪の権を持つ銀行強盗が親に相当します。人質が子供です。小さい子供の生命は親によって握られていると言えます。自らの生命を守る為に、子供は親にどんな理不尽な行動を強いられようとも、必死に親を好きになろうとし、親を喜ばせようとします。
そうやって親との連帯感を強め「見捨てられないように」無意識に動くというわけです。「良い子」です。でもそれは見捨てらる恐怖から逃れる為の「作為的」な姿…。
ところが当の親には悪気も自覚もなく、気がついてもいません。大抵の場合この親自身がDSSの中で育ち、生命危機をを乗り越えてきた人間だからです。その過去の恐怖の体験は、今や当人にとって「この方法で生き長らえた」という「栄光と成功の体験」です。
その行為は、真面目に「愛情たっぷりの人生教訓やアドバイス」なのですよね。
DSSの親達が発信するのは、「自己犠牲を払って親に尽くさなければ愛してあげないよ」という脅しのサインです。DSSの人間関係は、「不信、契約関係、上下関係」で成り立ってい、相手が信じられないので「○したら、愛してあげる」と上下関係の契約を用います。
人間関係には「気遣い」がついて回りますが、ここにある気遣いは自己保身がベースの「下心のある気遣い」で、媚びを売って見捨てられないようにする奴隷のようなヒクツな気遣いです。自分に喜びも誇りも持てず、得られるのは信頼の絆ではなく契約の絆です。
本来の健全な気遣いは、「相手の命の礼讃」であり、「相手の命を礼讃している自分が嬉しい」自己完結型の喜びです。礼讃している時点で既に充分喜びを感じているので、相手が喜んでくれたら尚嬉しいけれど、喜んでくれなくても大して気にならないのです。
しかしそうした愛情飢餓に陥っている人間の最大の問題点は、実は「親から愛されなかった」ことではなく、「親以外の人から愛情をもらえない」ことなのだ…と著者は言います。
親以上に愛してくれる人は、社会にいくらでも居ます。何故なら愛されるのは気持ち良いですが、愛するのはもっと気持ちが良いから…だから人は人を愛そうとするのですね。
人は、人に優しくせずにおれない動物で、だから愛情深い人から愛を貰うのに、遠慮は無用なんです。無償の善意を信じるだけで愛は簡単に得られるんです。
けれど人間を不信しているDSSの者は、“人間関係=契約”と考えていますから「親にも契約を嫌がられる自分などと契約してくれる人は居まい、最早自分には親しか居まい」…と、親への執着を手放せず、尚一層益々固執してしまいますし、また外に探し出したとしても“親への執着”が手放せないままですから、どうしても「親に似たタイプ」に引き付けられ、やはり「契約」の人間関係を続けてしまう。あるいは“契約”を用いて「自分よりちょっと不幸な“見下せる”相手」に近づいて、自分が契約の上下関係の上に落ち着くことで決着させてしまい、やはり愛を得ることが叶わない…。
DSSは、自分の感情に嘘をつかれて自分で騙されている状態ですが、今の日本ではとくに「意見」と「感想」がごっちゃになっていると著者は言います。
「感想」というのは「自分だけの思いや考え」。
「意見」というのは「事実を基に理論を構築して結論を導き出したもの」。
はて、翻って私達は、「感想」と「意見」、きっちり区別して捉えていたでしょうか?
お恥ずかしながら私もたぶん、混同して捉えていた気がします。(^_^;)
確かに日本中で今、自分の勝手な思い込みを根拠にものが言われそれがまかり通っているかもしれませんね。日常、国家、両レベルでそんな答弁や弁論が飛び交っている?
自分の感情に嘘をつかれて騙されてしまうのは、自分の感情を吟味することなくそれを根拠に直結結論を出すから…。う〜ん、あれ…なんだかそう考えてゆくと、これは「家庭内」どころか「日本中ストックホルムシンドローム」って気がしてきましたが…。
自分に言い訳をしない。正直に生きる。約束を破らない。「かわいそう」という同情や見下しをやめる。人のせいにしない。自分の前向きの姿勢を刺激する人と付き合う。自分のカンに頼ってみる。ものごとの先送りや思考停止をしない。 …それが脱出の鍵。
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