柴又散策 5 ---矢切の渡し---

杉浦正雄さん
渡し乗り場
杉浦勉さん
矢切の渡しの歴史は古く、元和2年(1616)幕府は利根川系河川の街道筋の重要な
地点15箇所を定船場として指定、 それ以外の地点では河を渡る事を禁止(箱根の
関所並に厳しかった)しました。 その1つが矢切の渡しで、この付近を通る国分道に
架かる渡しで、主に近郷の農民が対岸の農耕地へ渡るために利用された。
寛永8年(1631)武州金町松戸関町の文書に「利根川通芝叉村船渡川向矢切村」と
記されている。


都内に残る唯一の渡し船で、今も昔ながらの手漕ぎの和船が対岸の松戸市下矢切
との間を往復しています。
櫓を漕いで50数年の杉浦正雄さん(76才)に話を聞きました。今では毎日運行して
いますが以前は土・日曜日のみ櫓を漕ぎ平日は植木職人をしていたと。杉浦さんの
歴史を聞くと先祖代々船頭だったようで、正雄さんの父親が「浅太郎」でその父親が
「雄太郎」ですが2代前までしか分らず、現在は息子の「勉さん」(41才)と一緒に櫓
を漕ぎ「矢切の渡し」の歴史を今も引き継いでいます。
矢切の渡し以外に江戸川ライン下り
(不定期)も有、京成江戸川駅の「小岩菖蒲園」
(片道\500,所要時間約20分)まで運行時間は10時-16時頃まで乗り場に旗が立つ。

雨天・荒天時は休みますが松戸側の森に旗が立っていると運行している目印です

対岸は戦国時代、小田原北条氏と安房の里見氏の一大合戦を交えた古戦場です、
また伊藤左千夫の「野菊の墓」の舞台となり、 ヒット曲「矢切の渡し」を生んだ地とし
ても有名です。
矢切の地名の由来は、平和に暮らしていたこの辺りの人々が度重なる戦争の苦し
みを味わい、戦いで使われた弓矢を呪い「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」を悲願して
矢切の地名となった。


渡しは対岸まで5分(片道\100)。 向いに見える丘陵地には野菊の墓記念碑の有る
西蓮寺まで「野菊のこみち」を散策しながら徒歩15分、更に桜の名所の里見公園ま
で徒歩25分、近くには真間弘法寺、手児奈霊堂なども有、京成国府台駅まで徒歩
17分ほどです。ハイキングコースとしても手頃で、お勧め出来ます。


              運行時間=9時頃から日没まで
              毎日運行=1月1日から1月中旬、 3月中旬から11月30日
              土日祝日=12月1日から12月31日、 1月中旬から3月中旬
                       (庚申の日は運行)
                  雨天荒天は欠航
(対岸に旗が立てば運行中)

                「野菊の墓」散歩コース、「野菊のこみち」写真集、 
                「国府台戦争」、 「日本の音風景100選」一覧表
                「矢切から京成国府台」 ハイキングコース、

草履のおじさん出現

平成8年の秋にふらりと柴又に現れた草履のおじさんは「交通安全」を願って赤青黄色の
ミニミニ草履(3cmほど)を手作りし販売している。
1足の製作に40分ほど掛かり、かなり手の込んだ作業で1足¥400、3足¥1,000で販売。
谷津義男(55才)福島県阿武隈山麓の農家の出身。

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