柴又散策 柴又駅前
現在の京成柴又駅
99年完成「寅さん像」
「帝釈人車軌道」再現図
『フーテンの寅さん』像が'99駅前完成。寅さんの旅立ちを見送るさくらが “お兄ちゃん何処へ行くの” 
“さくら、達者でな〜” と振向く姿を再現しているとか。

柴又は今でこそ交通も便利になりましたが、江戸時代は全く不便であった。渡すかぎりのたんぼの中を半日がかりで歩き、道の所々にある茶屋で甘酒飲んで一休みしては、また歩ていたようです。明治32年、常磐線の金町から柴又まで1.4Kmの区間、レールの上に小さな箱型の客車(6人乗り)をのせた「帝釈人車軌道」と云うのがお目見え(片道5銭、所要時間15分)それを人間が押した。大正元年、京成に譲渡し幕を閉じました、現在の金町線です。

柴又と言う地名は極めて古く、奈良の正倉院文書「養老5年(721年)下総国葛飾郡大嶋響戸籍」の中に嶋俣とあり42戸の家と370人の住民と記載されている。現在の柴又の文字で記載された文献は、 江戸時代の正保元年(1622年)「正保政定国図」で初めてである。